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    シャロン・ズーキン「都市はなぜ魂を失ったか」を読んで、まちの「らしさ」をどう維持創出できるかを、ちょっと整理できた



    前に山形浩生さんのブログを読んで読みたかった本。

    この本は「オーセンティシティ」を守るべし、と書いてある本だが、山形さんは「彼女はそれをまともに定義できないくせに、もうそれだけで議論をすすめ…」と書いてたけど、それには同感。

    でも、読み終わるころに、これは「らしさ」に意訳するとピンとくるな、と感じた。日本でも「横浜らしさ」とか「逗子らしさ」とか。「らしさ」を住民も行政も求めていて、我々都市計画コンサルタントに解明してもらいたいと思っているし、私たちも計画する時に尊重したいと考えているものである。しかし、その正体はばくぜんとしている。で、以下、「らしさ」問題に着目した感想。

    1章は「ブルックリンはどのようにしてクールの場所になったか」。ウィリアムズバーグ地区という昔の工場・倉庫街のジェントリフィケーションの過程が書かれている。「らしさ」として「荒涼さ」を上げているが、う〜ん、これを軸にするのはキツイと思う。

    2章は「ハーレムはなぜゲットーを脱したのか」。1990年のクリントン政権下で、福祉から市場形成にシフトし、ハーレムへの投資が強化され、アッパー・マンハッタン・エンパワーメント・ゾーンという制度ができた。ここから95〜06年に3億3500万ドルが助成、融資、債権として投資されたそうである。ハーレムの「らしさ」は「黒人」であり、それは変わらないが、中間層の黒人による低所得層の追い出しがおこっているようだ。

    3章は「イーストビレッジで地元に住む」。ここの「らしさ」は「ヒッピー、反対運動、多様性への寛容性さ」のようだ。で、一部で高級化しているらしい。また、レストランやマーケットが増え、観光地化(Destination Cultureの私の意訳。翻訳では目的地文化と直訳してるけどピンと来ないので)しているようで、著者はそのことをことを危険視している。

    4章は「ユニオンスクエアと公共空間のパラドックス」。ユニオンスクエアがBID(business improvement district)となり、ユニオンスクエア・パートナーシップという民間団体が管理するようになり、「清潔・安全・予測可能」になったが、民主的な空間は予測不可能な危険性をはらんでいるからこそ意義があり、それを取り戻すべし、という意見。BIDについては反乱する都市でも否定的だった。日本ではBIDは肯定的に紹介され、私も肯定的だが、「らしさ」を創りだしていないのだろうか?

    5章はブルックリンにあるレッドフック地区について。イケアと移民の食べ物屋台組合の比較。著者はもちろん屋台組合に肯定的で、市から公園の使用許可入札に参加するよう要求された時、法人化して乗り切ったし、多くの市民がブログなどでそれを応援したことが書かれている。

    6章はコミュニティガーデンと屋外公告について。コミュニティガーデンは、70年代のグリーンゲリラから始まり、「らしさ」を備えているとして順調に広がったが、94年のジュリアーニ市長時代に管理の市への移管や売却が始まり危機に瀕した。しかし、ブルームバーグ市長が、約500を存続、100をアフォーダブルハウス等に、100を保全系の民間財団に売却すると整理し、息を吹き返したようである。著者は土地を「脱商品化」したことに意義があるとしている。

    一方、屋外広告については、タイムズスクエアが象徴するように加速化し、バスのラッピング公告や公園のブランド企業への貸出などにも広がっているとしている。

    終章は、観光地化と「らしさ」の危機について。「1980年代以降都市が内包してきた権力構造は、“消費”と“自由の抑制”を兼ね備えている」というのがこの本で言いたかったことのようだ。また、それはニューヨークに限らず、多くの都市で起こっているとも指摘している。

    「らしさ」は、「地域の成り立ち、自由さ、住民の創意工夫、脱商品化、脱観光地化」によって維持・創出されるということかな〜。脱商品化、脱観光地化あたりはバランスだと思うけど。
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    後房雄「 NPOは公共サービスを担えるか」を読んで、包括的事業委託はよさそうだけどアドボカシー機能があるか調べてみたいと思った



    以前に読んだ田中弥生さんの「市民社会政策論」(2011)で取り上げられていた本。2009年発行。

    本書は、 NPOが公共サービスを担うべきという立場から、また、イギリスのボランタリー団体経営者協会をモデルとした日本サードセクター経営者協会(JACEVO)を推進する立場から書かれている。

    これまでの論文を再編集している本で、3部構成であるが部としての構成はあまり明確でない。

    1章ではグローバルな公共経営革命とアソシエーション革命が起こっているという指摘。また「民間企業主導の自由主義的改革」と「市民社会が存在感をもつ自由主義的改革」が競いあっているとも指摘している。

    2章ではアメリカのクリントン政権における「行政改革」の内容を紹介。「アントレプレヌール型行政」が提起されたそうである。また、日本の志木市の地方自立計画や東海市のまちづくり指標も紹介されている。

    3章はアメリカにおける政府ーNPOの関係の変遷。面白かったのは1977年のアメリカの国勢調査によると正規職員が0の市町村が4,424あるということ。日本とは地方自治体のあり方がかなり違っている。またアメリカ連邦政府・政府間関係諮問委員会による、公共サービスの「決定」と「創出」を区別すべきだという考え方を紹介することを通して、著者の公共サービス提供者としてNPOの必要性を補強している。

    4章は日本における公共サービス改革について。日本の政府は量的には小さかったが、外郭団体や民間団体を「手足」として活用することで「大きな政府」としての役割を果たしてきたという指摘が面白かった。また、これまでは福祉の「措置制度」のように、政府が一方的に様々な決定を行う制度であったが、1997年以降、費用は公的に保障しながら、民間の多様な供給主体の競争と利用者の選択権を導入した「準市場」(バウチャー)のメカニズムを採用しているということも面白かった。介護保険などで知ってはいたが、あ〜、バウチャーと同じなんだと改めて気付かされた。

    また、準市場や指定管理者制度、市場化テストなどによりNPOが公共サービスを担うチャンスが大きく開かれたが、分野ごとに準市場などのシステムがバラバラであり、それに対し、NPO側がまとまって意見をいう体制がとれていないことが問題だと述べている。

    5章は委託について。NPOが委託を受ける場合、「NPOの自律性と政策のアカウンタビリティーのバランス」が核心問題だとしている。またNPOにとっての事業委託の利益と不利益についてのガッチやスミス&リブスキーの分析や、自律性維持のための戦略としてレカートが上げていることを紹介している。さらに、日本のNPOへの調査結果や、多治見市の補助事業、愛知県の委託事業、神奈川県の協働事業負担金、大阪府のNPOからの企画提案型事業を紹介している。

    6章は、NPOはもっぱらボランティアと民間寄付に依拠するべきという「ボランタリズムの神話」の批判。具体的には田中弥生さんの「NPOが自立する日ー行政の下請け化に未来はない」という本を批判。また、理念的協働についても批判している。そして「包括的事業委託」という実施過程においてはNPOに裁量権を与え、行政は事業の成果を監視し、報酬を成果に連動させる方式が望まれるとしている。また、フルコストリカバリーが重要だとしている。

    田中さんと後さんの話は、細かくみれば批判すべき内容なのかもしれないが、私としては寄付・会費中心のNPOも公共サービス提供中心のNPOも存在していいと思うので、批判しあってもな〜、という感じだった。

    終章では、イギリスのコンパクトを詳しく紹介しつつ、コンパクトのような政府とNPOセクターの「合意型文書」をつくるには、NPOを組織化しないといけないので、日本サードセクター経営者協会(JACEVO)が必要なんだよ〜という話。これは同意するが、そのためにはNPOセクターが分裂しないようにしなきゃ。

    私は浦安市の市民参加推進会議のメンバーで、近々協働事業提案制度の評価をやるので、その点に注目して読んでいた。後さんは協働事業提案制度は過渡期的で、包括的事業委託が望ましいとしている。私は協働事業提案制度は、新規の施策を提案したり、既存の施策を改善するアドボカシー機能を内蔵させているのがキモだと思っているが、それが包括的事業委託でできるのかどうか。これについては書かれていなかったので、もう少し包括的事業委託イメージ(イギリスではやっている?)を調べてみたいと思った。

    陣内秀信他「アンダルシアの都市と田園」を読んで、実測調査の報告書を思い出した



    法政大学陣内研究室が1999〜2004年の6年間に実施したフィールドワークの記録。スペインのアンダルシア地方を対象としているが中心はアルコス・デ・ラ・フロンテーラとカサレスという都市。いずれもイスラムの影響と、それをキリスト教徒に取り戻すレコンキスタ(再生副活動)の影響を受けている。しかし、レコンキスタは両都市は距離はそれほど離れていないものの、アルコスは1250年ごろ、カサレスは1480年ごろと200年も違っているそうだ。ちなみにアンダルシア地方では1492年にレコンキスタが完了してスペイン王国に統合され、800年に及ぶイスラム支配が終わったそうである。

    1章はアンダルシアの歴史と風土。これは30ページぐらい。

    2章はアルコスについて、約120ページ。。天空の街と呼ばれているようで、とても美しい。人口約3万人。丹念な実測調査を踏まえて、都市構成、街路空間、住まいについて分析いる。中庭型住宅で面積が広く、1960年代ぐらいから一部を賃貸していたようだが、現在はメインファミリーがいない形態も増えているそうだ。また、新市街地に出て行く世帯も多く、空き家を民宿にしているところもあるようだ。

    3章はカサレスについて、約50ページ。「白い街」と呼ばれているようで、こちらもとても美しい。人口約3000人。こちらも実測調査を踏まえた分析。住宅は4つのタイプがあるが中庭型ではない。1970年代に出ていった人たちが戻ったり、移住者が増えたりしており、価値が見直されているそうだ。

    4章はタイトルは「アンダルシアの外部空間」だが、中身はスペイン各地の広場についての分析が中心。約50ページ。中で面白かったのは、リチャード・マイヤーが設計したバルセロナ現代美術館前の広場について、「きわめて現代的でありながら、まさにスペインの広場の遺伝子を継承している」と評しているところ。デヴィッド・ハーヴェイ「反乱する都市」では、ディズニー化していると書かれていたのと対照的。バルセロナに見に行ってみたいな〜

    5章はアンダルシアの諸都市、約30ページ。中世アラブ・イスラーム時代の市域と現在の都市の位置関係の図が面白かった、アルコスは中世アラブ・イスラーム時代の市域の中に現在の都市が内包されていて、カサレスは市域外に現在の都市ができているそうだ。

    6章は田園地帯について、約40ページ。以前はアグロトゥリスモと呼ばれていたものが2000年ごろからトゥリスモ・ルーラルとして定着し、広まっていることから田園地帯についても調査したそうで、農家の構成や都市と農地の関係について書かれている。

    現地に行ってみた気分になりつつ、歴史や都市・住宅の構造もわかるという本。学生時代に歴史的街並み調査をやった時の報告書を思い出す。新書などのコンパクトな形態の方が一般にわかりやすいと思った。

    デヴィッド・ハーヴェイ「反乱する都市」を読んで、マルキストが“労働組合から近隣組織へ”と言うための言い訳が書かれていると感じた



    ブログ11回めにしてやっと都市関係の本。経済地理学者でマルキストの著者がルフェ−ベルの都市への権利 (ちくま学芸文庫)を引き合いに出しながら述べている。

    2部+インタビューで、1部は「都市への権利」で1章のタイトルも同じ。都市開発は余剰資本の処理であるとして、19世紀にオスマンがパリでやったこと、40年代にモーゼスがニューヨークでやったことが現在、世界中で行われている、と述べている。また、ニューヨーク市長の億万長者ブルームバークが「ジェイン・ジェイコブスの心をもってロバートモーゼスのように建設する」というスローガンを掲げているように、低所得層の追い出しが巧妙になっているとも指摘している。

    2章では住宅や建設、不動産バブルが繰り返し起こっていること、バブルがはじけた時に富裕層は損をしないことが書かれていた。

    3章はコモンズについて。現状ではコモンズが真のコモンズになってなく、例えばニューヨークのハイラインはコモンであるが、それにより近隣家賃が急騰し、富裕層以外が住めなくなっているそうだ。これを取り戻すために国家的+ローカルに取り組むべきとしている。

    4章はディズニー化について。バルセロナを例に、独自性があるからこそ人気が出て多国籍企業が進出し、ジェントリフィケーションされ、独自性を失い、ディズニー化していく。こうなってないのがブラジルのポルトアレグレ市(参加型予算の発祥地)であるとのこと。

    2部は「反乱する都市」。5章は労働者ではなく、これからは都市を組織すべき、地域的な組織として運動すべきとのこと。例としてボリビアのエル・アルトが上げられていた。6章は2011年のロンドンの反乱、7章はウォール・ストリート占拠運動について。

    インタビューでは、郊外の形成等が「凝集的な政治生活の可能性を断片化」していることや、「成功した運動では、水平性と階層性とが常に混じり合っている」、水平的になりすぎるとアナーキズムになること、などの考えが面白かった。

    読み終わって、マルキストはこんなに言い訳しないと「労働組合から近隣組織へ」と言えないのか、大変だな〜と感じた。

    また、マルキストが都市を見るとこう見えるのか〜というのは興味深かったが、偏りすぎじゃないかと思うところも多かった。

    高尾隆、中原淳「インプロする組織」を読んで、劇薬によって裂け目をつくるのは難しいので漢方的に変化を起こすプログラムを考えたい



    4月から大学の非常勤が始まったし、10月始まりの江戸川総合人生大学も残りわずかということで学習論を読む。ブログをたまに読んでいる「大人の学びを科学する」中原淳さんの関連本。

    4章構成で1章はインプロ=即興演劇の研究者であり実践者である高尾さんがパフォーマティブ・ラーニングを解説。現象学や社会構成主義、批判理論、メルロ=ポンティの身体論、ジュディス・バトラーのパフォーマンスとアイデンティティーの循環論などをバックボーンとして、「パフォーマンスすることで自分を崩し、そして再びつくっていくこと」を「学び」と定義している。

    2章は中原さんによる企業でインプロをすることの意味について。インプロの特徴は「即興的、創造的、協働的、 脱権力、共愉的」であり、日常の「反転世界」であるからこそ日常の異化のきっかけであり、人々を深いレベルの内省に誘う、としている。う〜ん、この本では2章が一番ピンとこなかった。企業での日常は非即興的、非創造的、非協働的、非共愉的ではないと思うけど。

    3章は高尾さんが瀬戸内海放送という会社で行ったインプロ・ワークショップの記録。インプロ・ワークショップでは、インプロを教えることに徹すること、カリキュラムを即興で作ること、「相手にいい時間を与える give your partner a good time」を基準とすること、をポイントとしていることが参考になった。

    4章は二人の対談。「からだを動かすことでは裂け目は入らない、それを言葉にした時に裂け目が入る」「企業に必要なのは褒めの文化」「失敗の受け身を学ぶ」「学びの他者性」「予想外のことに出会う勇気や、それによって変わっていく柔軟性」「旅行業界等、学びに無縁だった世界に学びを持ち込む」「ピクサーにはインプロ劇団まである」「バフチカン(ロシアの文芸学者)のカーニバルの異化の作用」「やわらかいからだ、やわらかい自分を回復しなきゃいけないという意識」「アートの一番の特色は、価値が多元的」などなど、興味深いフレーズがいろいろあった。

    インプロや演劇については、Philippine Educational Theater Association (PETA)で研修を受けて、それをもとに江戸川総合人生大学などの研修の場で演劇ワークショップを時々実施している程度で、あまり詳しくないが、PETAの研修では確かに「自分を崩す」感覚があった。

    一方、自分がファシリテーターとなる時は、「崩す」まではいかず、「裂け目を入れる」ぐらい。これもできているかどうか。

    特に研修の場ではない、まちづくりのワークショップの場合、10〜20年ぐらい前は異化作用があったかもしれないが、現在では参加者が慣れてきて、気づきや変化、学びに結びつけづらくなっている。

    私の場合、インプロという劇薬によって裂け目をつくるのは難しいので、これにインスパイアされながら、漢方やアロマ的に気づきや変化を起こしていくカリキュラムやプログラムを考えたい。

    三好皓一ほか「評価論を学ぶ人のために」を読んで、迷走せず、学習につながる評価に取り組みたいと思った



    引き続き上野真城子さん関連。2008年1月発行なので既に5年前の本になる。1部と2部に分かれていて1部が「評価の概念と方法」2部が「分野別評価の現状と課題」となっている。執筆者は国際開発に関係する人が多く、国内の政策評価をもとに考えると、ややズレている感じがした。

    1章は編著者による「評価とは何か」。評価の定義として「種々の政策、施策、事業の実施と効果を組織的に査定するもの」と記されている。また評価の目的は、「学習」と「説明責任」と書かれていて、「学習」というのが新鮮だった。さらによい評価のためには①有用性点、②公平性と中立性、③信頼性、④利害関係者の参加度などを満たされければならないと書かれていた。まぁ、1章はおさらいですね。

    2章は「量的評価」、3章は「質的評価」について書かれている。量的評価について書かれているように「得られた結果がどの程度信頼できるか、その結果から何が言えるか」が問題だと思った。まさにガベージ・イン、ガベージ・アウトである。質的評価については人々のエンパワメントの評価方法が載っていた。12の指標を設けて、それが達成されたを見るものだ。日本で考えた場合、適切な指標もあったが、そぐわないものもあった。

    4章が上野さん達による「パフォーマンス・メジャーメント」である。ハリー・ハトリーの本の最後にあった長い解説文がそのまま入っていた。ちょっと残念。

    5章は、費用便益分析について。代替法、旅行費用法、へドニック価格法、仮想評価法(CVM)の4つの概要紹介や費用効果分析との比較など。

    6章は参加型評価について。「事実はある価値体系の中で解釈されて意味を持つようになるのであり、客観的なひとつの事実が最初から存在するわけではない」と言う「構成主義(constructivism)」の立場からきている評価方法。参加型評価に限らず「評価」というのはそういう側面があると思う。参加型評価をこれから導入すべきと言う形で書かれているが、日本の実態としてはすでにある程度、参加型評価がなされていると思う。

    7章からは2部で、7章は中央省庁の政策評価について。行政評価法から策定された背景から平成19年度までについて書かれている。とにかく評価が始まったということを評価しつつ、今後の課題として、評価が予算に反映されないことや、評価の説明方法、省庁での評価方法の統一等が書かれていた。8章は自治体がやってる評価について。現状示しつつ具体的な改善策について書いてあった。「評価は必要以上に精度を要求しない」と言うのは新鮮な意見だった。

    9章は田中弥生さんによるNGOのアカウンタビリティについて。NGOが資金源に向けたアカウンタビリティを重視する傾向にあるが、地元へのアカウンタビリティを行う必要がある、しかし、地元が賛成・反対にわれている時、誰が、どう、何を評価すればいいのかということが問われるし、未解決であると書かれていた。

    10章は学校の評価について。ある学校評価総括表というのが示されていて「友達を呼び捨てにさせない」「思いやりのある行動を発表させる」などの指標があった。迷走しているな〜 11章は大学評価で、これも迷走していると感じた。

    12章は保健福祉評価について。現在、科学的根拠に基づく医療の評価と、サービスの質の評価の2つが同時に関心を持たれているそうだ。前者は日本ではまだあまり取り組まれてないそうで、今後これをシステム化していくことが重要だと書かれていた。

    13章は環境評価。経済的評価手法として直接評価と間接評価があり、それぞれ数種類の手法がある。また技術的評価として環境アセスメントがある。さらに歴史や文化への影響を図る社会的評価手法というのもあるそうだ。現在は技術的評価が中心だが、経済的・社会的評価も今後やっていく必要があると書かれていた。

    14章はジェンダー評価、 15章は開発援助評価で、いずれも海外の文献の概要紹介という感じだった。開発成果と援助の関係性について「帰属(厳密な因果関係の立証)」ではなく「貢献(因果関係の可能性の高さ)」に基づき評価しようとをしているという記述は、面白かった。

    行政からの委託を主な仕事としている身としては、評価の必要性や重要性はわかるが、迷走しないように、そして学習につながるように、取り組まなければいけないなあと思った。

    ハリー・ハトリー「政策評価入門」を読んで、日本の政策評価の現状・全体像はどうなっているか知りたいと思った



    前回に引き続き、上野真城子さん関連。アーバンインスティチュートのハトリーさんの本を上野さんたちが翻訳したもの。アメリカでは1999年に、日本では2004年に出版。

    政策評価というタイトルだが、原題はPerformance Measurementで、主にパフォーマンス(業績)の測定について書かれている。

    政策評価を主とした業務はやってなく、委員で指定管理の業務評価をやっているぐらいなので、日本においてどういう方式が主流なのか、最先端なのかという全体像はよくわかっていない。総務省の政策評価ポータルサイトを参考にしているぐらい。

    で、本書は5部構成で、1部は概説。1章では業績測定の定義などで、「サービスあるいはプログラム(施策)のアウトカム(成果)や効率を定期的に測定すること」としている。2章は業績測定の要素を定義している。ハトリーさん方式は、中間アウトカムと最終アウトカムの2つを用いることが特徴的。

    2部は業績測定のプロセスで、3章では、まずワーキンググループをつくることと、そしてどう作業するかが具体的に書かれている。4章では施策の目標と顧客を明確にすべしということ、5章ではアウトカムの作り方が書かれている。

    で、例えば「高校中退を防止する」という施策の中で、「父母講習会」を行った場合、アウトプットは「講習会の開催」で、中間アウトカムは「講習会への参加や修了、子どもに学校に行くことを勧めること」で、最終アウトカムは「子どもが学校に行くようになり、中退者が減ること、さらに長期的には経済的に向上すること」という具体例が示されている。

    う〜ん、中間アウトカムと最終アウトカム、わかった気もするが、峻別が難しそう。

    6章は測定する指標について。先ほどの「父母講習会」を例に指標が書かれている。「中退者数と割合」など、わかりやすいものもあるが、わかりにくいものもある。

    7章はデータ収集の方法。この中で郵便アンケートでも50%の回答をめざすべき、そして回答率を上げるために、カラー紙に印刷したり、2〜3回、郵送を繰り返すべきと書かれていたのが興味深かった。私の経験では郵送で50%はなかなかシンドイ。しかし、郵送を繰り返すことはしていない(督促ハガキを出すことはたまにある)ので、そういう方法もやってみるべきかな、と思った。

    3部は分析と利用方法。8章は地域別比較など、比較のカテゴリーについて。9章はベンチマーク=達成目標値について、10章は分析のやり方や報告書の作り方について、11章は報告書をどう使うか−例えばアカウンタビリティ(説明責任)や予算要求など−、12章は予算編成での使い方が書かれていた。

    11章の中に、行政職員の業績と給与を結びつけるという見出しがあって、実際にやっているのかと思って読んでみると、「それは難しい」という結論だった。まあ、アメリカでも難しいだろうなあ。一方、成果を出した場合、委託費を増すという契約はあるようで、これは興味深かった。日本でもあるかもしれない。

    4部はその他の論点で、13章が業績測定の質を保つ方法、14章は業績測定費用をどう減少させるか等のその他の課題、15章は全体の要約となっている。

    13章のチェサピーク湾の水質向上や、米国幹線道路交通安全局の死亡者数や事故件数を減少させる例はわかりやすかった。

    印象的だったのは、業績測定の数値がひとり歩きしないように端折ってはいけない、数値を絶対視してはいけないと繰り返し書かれていたこと。アメリカでもひとり歩きしてしまうんだろうなあ。

    読みながら、日本の政策評価の現状・全体像はどうなっているかモヤモヤしたので、上野さんに聞いてみたいと思った。

    ボリス他「NPOと政府」を読んで、多様性と共通基盤のバランスを考え続けることが大事だと思った



    上野真城子さんにお会いするので関連本を読もうと思って。また、「市民政策」の原稿の参考にもなるので。

    本書は上野さんが勤めていたアーバンインスティチュートが中心になってまとめたもの。アメリカでは1999年に出版されている。それを上野さんと山内直人さんというNPO業界の重鎮が翻訳し2007年に出版。アメリカでは2006年に改訂版が出されたそうだが、それが反映されてないのが残念。

    1部である序章〜1章は概説。本書でのNPOは、内国歳入庁に登録されている非営利組織の内、慈善団体と社会福祉団体が中心とのこと。また、1章では政府とNPOの関係が、相補か、補完か、敵対かということを歴史的観点から見ている。結論としては3つの概念レンズを通して関係を見ることが必要、とのことだった。

    2部である2〜5章は資金について。2章はNPOセクターの資金、3章は連邦予算におけるNPO予算の動向、4章は寄付控除や税免除、免税債などのNPOの税措置、5章は政府によるNPOへの資金供給。データが中心なのでそれが古いことが残念。

    例えば、CDC(コミュニティ開発機関)への連邦政府助成が1980年度に比べ97年度は1%減少したとのことだが、その後どうなったのかとか、CDCが住宅開発する上で重要なツールであるLIHTC(低所得者住宅税クレジット)が、サブプライムローン問題後、どうなっているのかとか、知りたいところ。

    3部である6〜9章は公共政策との関係。6章は地方分権がNPOにもたらす影響、7章は営利転換するNPOの事例やその意味について、8章は価値観について、9章はアドボカシーについて。

    そして4部は10章のみで、レスター・サラモンによる国際比較。たぶん以前、見たことがある。これもデータが古いのが残念。

    で、本書では8章が面白かった。法改正により宗教団体が社会福祉サービスの担い手になるチャリタブルチョイスという制度ができたことや、全米芸術基金への政府補助金の削減を例に、宗教や芸術という価値観に関することに対して、NPOがどのような存在意義を持つのか、また、それに資金支援する政府の位置づけが書かれている。

    例えば、社会問題に対し明確な立場をとり、政策策定者に圧力をかける「特殊利益団体」がNPOに占める割合が増えていること、それによりNPOは市民社会を形作る存在というより、分断するものと見なされつつあること、一方で、「中央集権+標準化」vs「地方分権+多様性」という図式の中で、これを調停する役割をNPOが持っていること、などが書かれている。

    多様性は大事だが、行き過ぎれば共通基盤がなくなり分断を招く、また、地域の多様性を偏重すれば、ナショナル・ミニマムが確保しづらくなる、その中で、NPOが、あるいは市民社会がどうバランスをとっていくか。時代に応じてみんなで考え続けることが大事だと思った。


    プロフィール

    ksatani

    Author:ksatani
    佐谷和江と申します。都市計画・まちづくりの仕事をしてます。
    http://www.kgk-net.co.jp/staff/satani.html
    satani(@)kgk-net.co.jp

    まち活動のブログも書いています。
    http://ksatani.cocolog-nifty.com/blog/

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